松岡修造は金星人マイナス
大きなスポーツイベントがあると必ずテレビに登場し、そうでなくても、テレビCM、ネットCMにと、ほとんど毎日のように何らかのメディアに登場しては、日本中にエネルギーを注入してくれる松岡修造。
この類まれな「好感度男」松岡修造は、公表されている生年月日によれば金星人-(マイナス)。
なお、血液型はAB型なんだとか・・・
2016年の運勢
2016年の運勢は「陰影」ということで、大殺界突入となるが、松岡修造が毎日大騒ぎしている限り、金星人マイナスは安泰だ。
2016年も様々なスポーツイベントが行われ、その度に、日本中の人々がこの男のポジティブシンキングを浴びせられることになるが、金星人マイナスのあなたが大殺界の魔の手を跳ね返すためには、この人を拝むのもありか!?
2015年も静かにはならない
金星人-の2015年の運勢は「安定」。
この「安定」という運勢をどのように解釈すべきかであるが、基本、好調な運勢と考えてよいようだ。
というわけで、六星占術に照らす限り、松岡修造は2015年も「朝から晩まで大騒ぎ」してくれることは想像に難くなく、少なくとも「静かにならない」ことは確定していると言ってよさそうだ。
松岡修造の経歴と運勢
2014年の錦織圭の活躍によって、松岡修造が元テニスプレーヤーだったことを知った若年層の人もいるようであるが(それまではお笑いタレントとでも思っていたのだろうか・・・)、松岡修造といえば、国内有数のトップテニスプレーヤーであった。
運命を変えた全仏オープンジュニア
テニスのスパルタ教育を受けていた高校生時代、国内ジュニア大会「ウィンブルドンへの道」で2大会連続優勝し、全仏オープンとウィンブルドンのジュニア部門に出場。「海外遠征での勝利」という味を覚える。
そして、全仏オープンジュニアでのプレーを、たまたまボブ・ブレッド(アメリカの世界的名コーチ)が見ていたことがきっかけで、プロを目指しアメリカに渡ることになる。
1985年「立花」でのことだった。
「乱気」の年に活躍
その後、アゲインストな環境にもめげずにプロ生活をスタートさせ、1988年(運勢は「乱気」)の全豪オープンでは、ベスト8まで勝ち上がり(準々決勝でマッケンローに惜敗)、全米オープンでグランドスラムシングル初勝利を挙げる。
さらに、ソウルオリンピックアジア予選を勝ち抜き、オリンピック初出場も果たすなど、本来アゲインストとされる「乱気」という運勢の中、その乱気流を自らの力に変える活躍をした。
ケガとの闘い
1989年「再会」の年に両膝半月板損傷、1990年「財成」の年に左足首3本の靭帯全て断裂という重傷に見舞われるも、リハビリから復活し、「安定」の1991年には、カナダマスターズで準決勝進出を果たす。
大殺界には勝てず
大殺界に入った1992年(「陰影」の年)は、イギリス・クイーンズ・クラブ選手権準決勝で、世界ランク2位のステファン・エドベリに勝利し、ATPシングルスランキング自己最高の46位まで昇り詰めるも、その後伝染性単核球症に罹患し、長期離脱を余儀なくされる。
大殺界明け、ウィンブルドンベスト8
「大殺界の壁」に苦しんだ松岡修造であったが、大殺界明けの1995年(「種子」の年)、欠員が出たことからウィンブルドン本選出場権を得ると、そこで勝ち上がり、ベスト8入りという快挙を成し遂げた。
結婚~引退と「CM起用1位」
結婚は1998年の「健弱」の時。同年に引退(当時30歳)。
また、2008年「緑生」の年には、CM起用ランキングで、木村拓哉と並んで男性部門1位に輝いた。
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