松岡修造(金星人-)は2015年も静かになりそうにない

2017年1月18日

大きなスポーツイベントがあると必ずテレビに登場し、そうでなくても、テレビCM、ネットCMにと、ほとんど毎日のように何らかのメディアに登場しては、日本中にエネルギーを注入してくれる松岡修造。

この類まれな「好感度男」松岡修造は、公表されている生年月日によれば金星人-(マイナス)

なお、血液型はAB型なんだとか・・・

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2015年も静かにはならない

金星人-の2015年の運勢は「安定」。

この「安定」という運勢をどのように解釈すべきかであるが、基本、好調な運勢と考えてよいようだ。

というわけで、六星占術に照らす限り、松岡修造は2015年も「朝から晩まで大騒ぎ」してくれることは想像に難くなく、少なくとも「静かにならない」ことは確定していると言ってよさそうだ。

松岡修造の経歴と運勢

2014年の錦織圭の活躍によって、松岡修造が元テニスプレーヤーだったことを知った若年層の人もいるようであるが(それまではお笑いタレントとでも思っていたのだろうか・・・)、松岡修造といえば、国内有数のトップテニスプレーヤーであった。

運命を変えた全仏オープンジュニア

テニスのスパルタ教育を受けていた高校生時代、国内ジュニア大会「ウィンブルドンへの道」で2大会連続優勝し、全仏オープンとウィンブルドンのジュニア部門に出場。「海外遠征での勝利」という味を覚える。

そして、全仏オープンジュニアでのプレーを、たまたまボブ・ブレッド(アメリカの世界的名コーチ)が見ていたことがきっかけで、プロを目指しアメリカに渡ることになる。

1985年「立花」でのことだった。

「乱気」の年に活躍

その後、アゲインストな環境にもめげずにプロ生活をスタートさせ、1988年(運勢は「乱気」)の全豪オープンでは、ベスト8まで勝ち上がり(準々決勝でマッケンローに惜敗)、全米オープンでグランドスラムシングル初勝利を挙げる。

さらに、ソウルオリンピックアジア予選を勝ち抜き、オリンピック初出場も果たすなど、本来アゲインストとされる「乱気」という運勢の中、その乱気流を自らの力に変える活躍をした。

ケガとの闘い

1989年「再会」の年に両膝半月板損傷、1990年「財成」の年に左足首3本の靭帯全て断裂という重傷に見舞われるも、リハビリから復活し、「安定」の1991年には、カナダマスターズで準決勝進出を果たす。

大殺界には勝てず

大殺界に入った1992年(「陰影」の年)は、イギリス・クイーンズ・クラブ選手権準決勝で、世界ランク2位のステファン・エドベリに勝利し、ATPシングルスランキング自己最高の46位まで昇り詰めるも、その後伝染性単核球症に罹患し、長期離脱を余儀なくされる。

大殺界明け、ウィンブルドンベスト8

「大殺界の壁」に苦しんだ松岡修造であったが、大殺界明けの1995年(「種子」の年)、欠員が出たことからウィンブルドン本選出場権を得ると、そこで勝ち上がり、ベスト8入りという快挙を成し遂げた。

結婚~引退と「CM起用1位」

結婚は1998年の「健弱」の時。同年に引退(当時30歳)。

また、2008年「緑生」の年には、CM起用ランキングで、木村拓哉と並んで男性部門1位に輝いた。

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